障害児の保護者

今回の件は、ブログにアップすべきかどうか、ずいぶんと悩みましたが、ホワイトきゃんばすの保育として、とても大事な内容ですので話をさせていただきます。

 

10月からダウン症の障害を持った園児が入園しました。

 

母親は、通常の環境に子どもをおきたいという思いがあたったようですが、残念ながら、他の保育園ではことごとく断られ、ホワイトきゃんばすにやってきました。

 

「生命の維持にかかわる、食事(咀嚼能力が不十分)・睡眠(無呼吸になる)・歯みがき(心臓に穴が開いているので虫歯はNG)については、職員が一人ついて個別対応をしますが、その他通常の保育については、ふつうに、他の子どもたちとかわらない保育をします。」

 

母親へは、このように十分話をし、障害があるということで特別視されない環境に自分の子どもをおくことを受入れたものだと思っておりました。

 

そして、入園後も、今までの施設では、なかなか受入れられなかった食事など楽しく食べたり、少しずつお子様の変化を感じていただいておりました。

 

しかし、状況が変わりました。

 

自分より体格の劣る1歳児クラスの小さい子の髪を引っぱるのが多発したので、本人の髪を引っぱって、「○○君。こうやってお友だちの髪の毛を引っぱったら痛いよね。友達が泣いているのは、○○君が髪を引っぱるからなんだよ。」というやり取りを、事実をそのままに連絡ノートに書きました。

 

それを読んだ、母親は、自分の子どもが体罰を受けているという、不信感を抱かれ、それをきっかけに、ホワイトきゃんばすへの信頼を築けなくなったということで、先日退園となりました。

 

連絡ノートは、子どもたちの成長を真ん中にした、保護者と保育園との交換日記という思いで、職員は、今日一日の出来事をそのまま綴ります。いいことだけでなく、悪いことも書きます。

 

叱ったこと・・・その理由

生活習慣(着替え・食事など)での問題点。園の取組みと家庭で行ってもらいたいこと・・・

食事の好き嫌いが多い・・・これも園での取り組みと家庭で行ってもらいたいこと・・・

 

まだまだたくさんありますが、連絡ノートだけでなく、ママのお迎えの時には、口頭でもかなり時間をかけて、一日のことを話をするのですが、友だちに噛みついた事(噛み付かれた保護者への謝罪)、ケンカ、トイレトレーニング、食事、生活習慣・・・主任保育士が時には毒舌で正直に話をします。

 

「保育園に預けて、子どもに我慢をさせているので、どうしても帰りにマクドナルドによって、好きなものを買ってあげる」というママへは、「保育園では子どもは我慢などはしていませんよ。ママもお仕事をがんばっていることを誇りに思ってください。○○君は、野菜をまったく食べませんし遊び食いがひどいのが気になります。自分の子どもがかわいいと思うなら、夕食前のファーストフードはなしにしていきましょう。」など、ママにとっては、耳の痛いことも話をします。

 

できる限り、保護者へオープンな保育を目指して、髪の毛の件は、そのままをノートに記入したのですが、母親の誤解と不信感という結果になってしまいました。

 

今回の件は、心配をあおるような書面を残した私の配慮の無さが招いたことですので、申し訳ないと思っています。

 

ただし、子ども自身は、笑顔も見せるようになり今後の成長が期待できるところだったので、残念である旨を正直に母親に話をしました。

 

「私どもの職員の中には、障害を持った子どもはいません。障害をもった保護者の本当の気持ちはわからないかもしれません。かつて、PTAにかかわっていたときに、特別支援学校のパパやママとの交流の中で、一歩前に踏み込んだ人たちを私は見ています。今回、○○さんがホワイトきゃんばすに入園させた時点で、ふつうの保育を受け入れてくれたと思っていました。ふつうの保育とは、例えば、悪いことをしたらいけないといういうことをわからせることです。友だちを噛んでしまった子どもには、時には、洋服の上から職員がやさしく噛んで、教えることもあります。友たちを叩いたりつねったりしたら、その手をペーンと叩くこともあります。小さい子どもは、言葉ですべてを理解できません。これを体罰というのなら、他の園や幼稚園、どこにも預けることができなくなります。お子様がダウン症という環境は、本当にしんどい子育てだったと察しますが、お子様のことを本当に考えるのであれば、母親である○○さんにかわってもらいたかったです。」

 

母親へは、自分の思っていることを正直に伝えたつもりでしたが、「今回の件では、心に大きな傷を負ってしまいました。園長には、ただ素直に謝罪をしていただければと思っていたのに・・・」ということで、最後まで理解が得られませんでした。

 

障害者を介護する仕事についているママに、今回の件を相談しました。

 

「子どもを普通の環境に入れて成長させたいということは、特別視されない・・・自分も変わらなければならない・・・ということで、理屈では理解できても、現実的には、自分の子どもは特別だから、ケアされて当然という気持ちが抜けきれない母親を何人も見ています。でも、それを責めることは私にはできません。」

 

今回の件で得たことがたくさんあります。

 

今後、障害を持った子どもを預かる機会があれば、今回の件も含めて、十分に話をして保育をすること。でも、決して忘れてはいけないのは、主役は子どもであること。大人の行き違いが理由で、子どもの成長の機会を失わないようにすること。

 

今日は、とても長い文章になってしまいました。

ホワイトきゃんばすの保護者の多くが、このブログに目を通していただいております。忙しい時間を割いて、パソコンを立ち上げていただいてますので、30秒以内で読める量としていましたが、今日は、何分も時間を取らせてしまい、申し訳ないです。

 

また、この文章も、まだまだ人間力の低い私が書いた内容ですので、そのまま正直に書いたつもりですが、自己保身となっているかもしれません。ですので、客観的に読んでいただき、保育園ホワイトきゃんばすに対してのご意見や質問も自由にしていただければと考えます。

 

ホワイトきゃんばすは、皆様から保育料をいただいております。その保育料の中には、保護者へ良いことだけ話をするのではなく、時には耳の痛いことを話す役目も含まれています。子育てをしている私たち大人もまだまだ未熟な人間です。少しだけ、人生の先輩の職員のアドバイスと思ってご容赦ください。

 

今日は、長い時間のお付合い・・・ありがとうございました。

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コメント: 1
  • #1

    かいじゅうママ (木曜日, 06 12月 2012 00:18)

    …だれかコメントしないかな、と思ってしばらく書けずにいました☆

    ふつう、って難しいところですよね。
    障害があるから普通じゃない?
    障害がないから普通?
    そうではないはずです。
    『普通の子』の『普通』への線引きって曖昧です。

    ただ、忘れてはいけないなぁ、と思うのは

    たとえ我が子に障害があろうとなかろうと、
    自分の子に『壁』をつくってはいけないなぁ、という事。

    それと、社会の人間として、同じ人間として

    障害(障がい者の方)をタブー視・特別視しないこと

    健常者(あまり好きな表現ではないのですが)が、障がいを理解できない、ということはありません。
    そりゃ、全部は無理です。
    でも、同じ人間です。
    障害があると、健常者のことは理解できないのか、という
    と、それもそうではないと思うのです。

    想いあって生きていくことは可能なはず。
    障害をタブー視・特別視してはお互いに良くない。

    障害は『ひとつの個性であり、その人のパーソナリティーだ』と、大学の授業で教授が言っていましたよ。

    生きていればみんな普通の、ひとりの人間。

    まだまだ自分も人生の修行中なので、えらそうなこと言えませんが、30と〇年生きてきて、そう思うのであります。