保育の取り組み つづき

各保育園の研究発表会・・・若い保育士さんが、慣れないパソコンのパワーポイント(プレゼンテーション用のソフト)を駆使して、緊張しながらも園の取り組みを発表する姿は、とても共感でき、具体的取り組み内容は、ホワイトきゃんばすの保育で参考にさせてもらいます。

 

しかし、何か釈然としないのは、取り組みはすばらしいけど、いったい、子どもたちをあなたの保育園ではどうしたいの?が、ほとんど見えてこないことです。

 

もちろん、各保育園にある「保育目標」では、「元気なこどもたち・・・思いやりのある子どもたち・・・」といった、お題目はありますが、これをさらに具体化しないと、保育をするうえで、前に進みません。

 

ある保育園は、「心を育てる保育をしています」と言っていました。保育関係者の中では、「すばらしい考えですね」となるのでしょうが、私の中では、心を育てるってどういうこと?と考えてしまいます。

 

こう考えるのは、私がサラリーマンのおっさんをしていたからだと思います(笑)。また、PTA活動を通じて、学校関係者やモンスターペアレント(失礼)と接する機会があったからだと思います。

 

仕事を通じて、多くの上司、部下、同僚とかかわります。

 

部下から報告があります・・・「状況説明は十分わかった。それで、君はどうしたいの?まさか、私の指示を待っているだけかい?」という自分で考えない部下をたくさん見てきました。

 

えっ・・・この内容は、最終的にはあなたがOK出してくれたんじゃないの?みんな俺の責任なの・・・という、自分で自分の尻を拭けない上司も見てきました。

 

こいつが頑張っているから、俺だって負けてたまるか・・・という、同僚の励ましもたくさんもらいました。

 

もちろん、尊敬する上司、信頼する部下に多く恵まれたサラリーマン人生であった事は言うまでもありません。

 

PTA活動では、教育委員会や校長、教頭先生の役割や現実を見てきました。生涯現役教師をつら抜く熱血教師。教師は公務員なので、問題さえ起こさなければ・・・という教師も見てきました。

 

モンスターペアレントと対峙することも、子どもたちや地域のために労を惜しまず活動するすばらしい保護者もたくさん見てきました。

 

そんな経験からですが、ホワイトきゃんばすの子どもたちには、大人になって役に立つ人間になってもらいたいのです。「生きる力をつける」とも「人間力を育てる」とも言えるかもしれません。

 

そんな、大人になってからのことなんて、幼児期にはまだ早いことでしょう。と思われるかもしれませんが、オギャーと赤ちゃんが誕生した時には、すでに140億個の脳細胞があり、もう増えることはありません。役に立つ人間になるかどうかは、脳細胞をつなぐ「シナプス」という回路をたくさん作れるかどうかにかかわります。

 

小学校に入るまでに、脳は大人の90%になるのです。つまり、幼児期にシナプスをたくさん作れるかどうかは、大きな成長のポイントになるのです。脳は、まだ解明されていないことがたくさんあるのですが、脳細胞とシナプスのことは、医学的にも脳科学的にも解明されています。

 

さて、役に立つ大人とは、どういう人ですかね・・・

 

家族を大切にする人・・・仕事を一生懸命する人・・・他人に対して思いやりを持てる人・・・コミュニケーション能力があって、組織の中で活躍する人・・・世界規模で物事を広くとらえることができる人・・・人を愛することができる人・・・がんばる力を持てる人・・・素直に人を尊敬できる人・・・感謝の気持ちを持てる人・・・人生を楽しんでいる人・・・まだまだたくさんあるでしょう。

 

保護者の方が、これを読んでいたら、自分の子どもには、どうなって欲しいかを考えてみてください。

 

ホワイトきゃんばすの子どもたちには、小学校に入る前の今、シナプスを増やすための経験をたくさんさせたいと思っています。

 

「先生・・・○○ちゃんが、おもちゃを取っちゃったの?」と園児が言ってきても「それで、どうしたいの?先生に言いつけにきたの?」と自分で考えることをさせます。

 

がんばって、今までできないことを達成した園児には、抱きしめてそれを称え、認めます。

 

「○○ちゃんは、もう自転車に乗れたぞ・・・やってみるかい?」と子どもが持つライバル心をあおることもします。

 

子どもたちが、自分で考えて行動ができるように、「答え」を見つけるのは先生ではなくて自分自身であると思えるように取り組みます。今月から始まった、3歳児以上の寺子屋もそんな子どもたちを育てるための活動です。

 

日曜日の朝から、熱く語ってしまいましたが(笑)、私自身、常に目標をもって子どもたちにかかわっていくことを忘れないために・・・自分への戒めのために、こうしてたまには、熱く語らないと・・・と思うのであります。(今日は長くてすみません)