教育に金をかける

人間の性善説を提唱したのは孟子です。彼は今の中国では考えられないですが、「国民が最も重要で国家はその次、君主は最後」と訴えていました。今でいえば「国民主体」を主張する人権派です。

孟子は塾を流行らせた人でもあります。古代中国では塾がなかったため、親達が子供を交換して教育していました。これは親が自ら教育をすると正論が通り難いうえ、自分ができないことを子供に要求し感情的になって喧嘩をしてしまうからです。

 

皆さんも自分の子供に対して、感情的になってしまう経験をしたと思います。私も、すぐにイライラしてダメです(笑)

孟子はこの考え方を支持し、塾の開設を通じてプロの教育者として教育改革を行った人でした。当時の塾では年齢も教材も全く制限がなく、先生は親の希望や子供の事情と個性に合わせて異なる教材を使い、異なる進捗で授業を行っていました。

学校が塾に取って代わったのは近代でした。国民全体の教育レベルを素早く高めるため、限られた先生を使って大勢の生徒に知識と思想を注ぎ込むための一種の「大量生産」です。年齢を区切って同じ教材、同じ方法、同じ進捗で教育を行うと数十人の教育コストと一人の教育コストが等しくなります。クラスの生徒の数を40人にすれば、理論的に教育の効率が40倍に上がります。


個性のない教育はこのような大量生産の「製品」です。工業革命にヒントを得たこの学校の仕組みは通信手段の乏しい当時において社会の近代化に大いに役立ちましたが、同時に個性、多様性と創造力を阻害し、全体主義を促す役割にもなりました。

現在の教育問題の多くは孟子の教育思想から解決の糸口を見付けることができます。塾の考えはまさに年齢などと関係なく子供の個性と事情に合わせた多様化教育です。

確かに現在においては孟子が提唱した一対一の教育はできませんが、様々なスタイルと教育理念を持つ学校は作れます。親が自分の方針で異なる教育環境と教育方法を選ぶ教育システムが可能です。

しかし、教育改革を訴える人の多くは国や政府に頼るのです。自分の教育への思いを全体の教育システムに押し込もうとするのです。子供の多様性教育を多様性の全くない学校や先生に要求するのです。この結果、学校の教育はどんどん無難なものになり、誰もが教育問題を他人の誰かのせいにしたがるのです。

教育の責任は親にあります。政府や政治家や組合のせいにする前に親が自ら他人に同調せず、個性のある選択を行うべきです。住宅ローンの支払いに懸命なのに教育は国家や学校のやるものだと思い込み、教育にまったく投資しようとしないのは問題ですね。
 

ここまで、ソフトブレーン㈱の宗さんのメルマガを参考に教育の話をしましたが、保育園選びも同じです。

 

「保育園に入れればどこでもいい・・・」の次のステップが、親が子供のための最善の環境を考えて、個性ある選択を保育園選びをしてもらいたいですね。

 

ホワイトきゃんばすが選ばれる保育園になるよう、まだまだ進化させねばなりません。