日航機墜落から29年目の夏

8月6日の広島・・・8月9日の長崎・・・8月15日の終戦・・・これは、次世代に語り継がねばならないことですが、まだ私が生まれる前の出来事です。

 

8月12日の日航機墜落事故は、1985年(昭和60年)・・・今から29年前に起きました。今年で30回目の夏になります。

 

JAL123便は、羽田から大阪へ向かって、乗客乗員524名をのせて飛び立ちました。しかし、午後6時58分に御巣鷹山に墜落し、520名の尊い命が失われました。東京デイズニーランドを楽しんだ多くの家族や、歌手の坂本九さんもこの便に乗っていました。

 

奇跡的に4名の女性が生存となりましたが、単独の航空機事故としては、死者520名は最悪の出来事となりました。

 

ボーイング747型機は、いわゆるジャンボジェット機と言われた機種です。私も何度か乗ったことがありますが、現在は日本の上空を1機も飛んでいません。燃費の悪さから、就航が終わりました。

 

私は、この時ちょうど20歳。青森から北海道へ向かう旅の途中でした。今でも、ニュースを食い入るように見た記憶がよみがえってきます。

 

山崎豊子さんの「沈まぬ太陽」が映画になったとき、主演の渡辺謙さんや「クライマーズ・ハイ」での堤真一さんの演技に、やはり、この事故を永遠に忘れてはならないことを強く思います。

 

死を覚悟した数分の間に、妻や子どもたちへの感謝のメッセージを残す父に、涙を流します。その子どもたちが、父を誇りにして立派な大人に成長する姿にまた涙を流します。

 

飛行機は実は安全な乗り物・・・死の確率で言えば、一番は車だそうです。また、この日航機事故の調査委員会の報告書には多くの疑問があるとも言われています。

 

それでも、520人の命は戻りません。人の命の大切さとはかなさの現実をしっかりと受け止めて、私たちは、生きていかねばなりません。

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コメント: 1
  • #1

    ひでっち (月曜日, 25 8月 2014 21:25)

    日航機墜落には諸説あって真相が語られていないと真相究明の嘆願書も遺族から出され続けていますが、よろしければ、飯塚訓『墜落遺体』『墜落現場』の2冊の文庫本をお読みください。DNA鑑定が整った今なら違う対応になっていたと思いますが、あの当時はこの本に語られていることに、人間ここまで誠意をもって人に向き合えるのかと、涙も相当に、そして、壮絶な、あまりに壮絶な描写に息をのみます。飛行機、鉄道、バス、船舶等、大型輸送に従事する人にはひとたび事故が起こるとこんなことになるのだと突き刺さってくるものがすごいと思います。八月は三日ごとに重い祈りの日が巡ります。9と15の間にこの12があることを記憶の風化からまもらないといけません。合掌