「教えない・・・」ということ

先日、4歳になったばかりの男の子・・・実は、昨年の秋に補助なし自転車をクリアーしていました。しかし、それ以降、補助なしに乗ることはしませんでした。


園長の判断として、補助付き自転車をしっかりこぐことができる&トレーニングバイクでバランスが取れるようになるになったら、自転車にトライさせます。「園児自ら、園長先生・・・自転車に乗ってみたい。」と言う園児は、一度成功するとその日以降、ずっと乗り続けます。


しかし、「○○君・・・もう自転車に乗れるぞ。やってみるか?」と園長から「教えてあげるよ」とアクションを起こしたときは、その時は乗れても、たいがい継続しません。4歳男の子も、しばらく自転車から遠ざかっていました。


昨夜「天皇の料理番」という、大正、昭和の宮内省厨司長を務めた、秋山徳蔵氏の人生を描いた番組を見ていました。佐藤健さん演じる若き主人公が、華族会館というところで修行を始めます。


すぐに、料理を教えてもらうものだと思っていた主人公ですが、毎日皿洗いと掃除のみで包丁も握ることができません。ついに、料理長に「俺は、ここに皿洗いに来たんじゃない・・・料理を教わりきたんじゃ」とキレます。


後に、永遠の師となる料理長が言ったのは、「俺は料理は教えん。教えたって覚えんからじゃ・・・料理を覚えようと思うやつは、自分で考える・・・自分で盗む・・・」


そして、主人公は、皿洗いや雑用をしながらも、料理長や先輩たちの技を目で覚えます。また、段取りを考えて、次の準備を言われる前に用意します。すると、仕事が楽しくなってくるのです。同じ仕事をしても世界が違って見えてきます。


さて、4歳男の子の話に戻します。土曜日の屋上遊びで、突然自分で自転車を取り出して、スイスイと屋上を何周も走っているではありませんか。園長も他の先生も、目を丸くします。おそらく、彼の中で「機が熟した」のでしょう。


「自分が、今、自転車に乗りたい。乗っている姿を先生たちに見せたい」と思ったときに、自分の力で、一つの壁を乗り越えたのです。「天皇の料理番」ではありませんが、自分で「やろう」と思わないと前には進まないし、保育園の子どもたちの主体性を導くことが大切なことだと、あらためて痛感した一日でした。


4歳男の子の自信は、これでゆるぎないものになったのです。