HOWでなくてWHY

「どうすれば、1歳の○○君は朝の会で、うろうろしないですむのだろうか?」

「寺子屋の時間で3歳の○○ちゃんが飽きないで続けるには、どうすればいいか?」

「すぐに、他の園児とケンカになる乱暴な○○ちゃんを直すのに、いい方法はないか?」

 

保育園でも幼稚園でも小学校でも、先生たちはこんな悩みを持ち、一生懸命に考えて、色々な方法を試してみるものの、なかなか効果的な方法がありません。いつのまにか「あの子」は自分の手には負えないのでは・・・と愚痴ったり自信を失ったり・・・

 

あるベテラン教師がこんな話をしています。

 

冒頭の3つの問いは、「どうしたら」「どんな寺子屋授業なら」「何かいい方法は」です。この3つの共通点は、すべてが「HOW」の問いなのです。HOWは方法を問う疑問詞です。「どうしたらよいか」のどうしたらは、決して子どもと結びついていません。自分の知っている方法、同僚に聞いた方法、本に書いてある方法、どんなに探してもその程度しか見つけられません。

 

マニュアルでは、必ずしも「あの子」にはあてはまらないことが多いですね。

 

では、どうしたらよいのでしょうか。それは「HOW」の問いを「WHY」の問いに変えてみるのです。

「どうしてあの子はうろうろするのだろうか」

「どうしてあの子は集中できず飽きてしまうのか」

「どうしてあの子はケンカ早いのか」

 

「HOW」を「WHY」に変えてみただけで、視点が「方法」から「その子ども自身」へと移るのがわかるはずです。

 

「なぜ」と問うだけでその子の外にある「教育方法」から、その子の内にあるその子特有の要因へと思考が向くようになるのです。

 

「なぜ」と問うだけで、その子を観察してみようと思えるはずです。

「なぜ」と問うだけで、その子と話してみようと思えるはずです。

「なぜ」と問うだけで、その子の保護者と話してみようと思えるはずです。

 

この先生の話を聴いて、保育園でも先生たちの問いは、「WHY」であるべきと痛感しました。私自身も「子どもが10人いれば10通り、またはそれ以上のやり方がある」なんて、言っておきながら、冒頭のような「HOW」の思考となってしまうことがよくあります。

 

個性いろいろの子どもたちを見るには、主語は「あの子」の「WHY」の思考が大事ですね。