モハメド・アリ

昨日、伝説のヘビー級ボクサー、モハメド・アリが74歳で亡くなりました。格闘技ファンにとっては、それぞれの追悼を行った事と思います。

 

「蝶のように舞い 蜂のように刺す」このフレーズが、モハメド・アリのボクシングスタイルです。ベトナム戦争徴兵拒否など、当時の米国政府保守派と対立し、世界タイトルを剥奪され、タイトルマッチもできない日々もありました。しかし、史上初の3回のヘビー級チャンピオンとなるのです。

 

私の子どもの頃の印象は、強いというよりもクレバーな選手というイメージが強かったですね。そして、何より、当時小学生の私が、今でも強烈に覚えている試合が、1976年6月26日、日本武道館で行われた、異種格闘技戦、アントニオ猪木対モハメドアリです。

 

結果は、15ラウンド引き分けとなり、「世紀の凡戦」と言われました。しかし、この試合は、時が経つにつれて評価されます。現役の世界ヘビー級チャンピオンが、当時は、世界では無名のアントニオ猪木に負けるわけがいかないとし、猪木側にむちゃくちゃなルールを押し付けるのです。

 

立っての技は禁止(バックドロップもできません)、寝技も10秒以内など、「このルールをのまないと試合はしない」とアリ側の圧力の中、猪木は、マットに横たわったままのアリキックしか使えなかったのです。

 

この手かせ足かせの中での、最高の試合だったと、今では懐かしく語られますが、それだけ、モハメド・アリとそのフロントの力が強かったのです。のちに、アントニオ猪木のテーマ曲「炎のファイター」がモハメド・アリより贈られ、猪木の引退試合には、すでにパーキンソン病を患っていたアリが、友人としてリングに上がります。

 

1976年6月26日の猪木VSアリの異種格闘技戦から今年で40年を迎えるにあたって、6月26日が「世界格闘技の日」となるそうです。この日を迎える前に、逝ってしまったモハメド・アリですが、彼は格闘技だけでなく、当時のアメリカ、いや世界に対して、重く、強いメッセージを訴え続けていたのです。ご冥福をお祈り申し上げます。