市民球団

広島カープが、昨日25年ぶりのリーグ優勝を飾りました。選手の平均年棒は、読売ジャイアンツの約半分です。大リーグからカープのために戻ってきた黒田投手や阪神タイガースから戻ってきた新井選手の「男気」は、金だけじゃないぞ!というメッセージかもしれません。

 

広島カープは、1950年に、原爆投下の広島を復興させようと、親会社を持たない市民球団として、結成されたという異色の球団です。マツダが球団の1/3以上の株式を保有する筆頭株式という形で、松田家が球団経営にかかわっているものの、今でも「市民球団」として、広島市民だけでなく、全国のカープファンに愛されています。

 

私が小学校6年の時の担任の先生が、熱狂的な広島カープファンでした。「♪カープ カープ カープ広島 広島カープ♬」の球団歌をすぐに覚えさせられました。(笑)

 

「いいか、プロ野球の球団の中で、最初に会社の名前じゃなくて、地名が来るのは、広島カープだけなんだぞ。ここは、広島市民のチームなんだ」と教えられました。また、「なんでカープスじゃなくてカープなのかわかるか?魚は英語では複数形がないんだ。10匹コイがいてもテンカープなんだ」もこの先生から教わりました。

 

お金がない球団で、選手に払う給料もカツカツ・・・広島市民が「たる募金」なる募金活動で球団を精神的に支え続け、球団設立25年目の1975年に、古葉監督のもとで、初のリーグ優勝をします。当時は、ミスター赤ヘル山本浩二さんや鉄人衣笠祥雄さんが活躍しました。私の世代では、しっかりと記憶に残っています。

 

そして、1979年の日本シリーズでは、近鉄バッファローズ相手に3勝3敗の第7戦、ピッチャーは江夏豊さん。9回ノーアウト満塁という絶体絶命のピンチを切り抜けて悲願の日本一となります。今でも、伝説として語られる「江夏の21球」です。

 

2009年に、広島市民球場から「マツダスタジアム」に代わってもドーム球場ではないところが、広島カープらしくていいですね。

 

広島カープのエピソードとして、「王シフト」(王貞治選手の時の極端な守備位置)は、広島カープが初めて行ったそうです。また、高額な契約金が用意できないので、スカウトマンは、スピードガンを持ち歩いて、無名の有望な選手の獲得に動いたそうです。このスピードガンも広島カープが最初に活用したと言われています。

 

今でこそ、北海道日本ハムや福岡ソフトバンクホークス、東京ヤクルトスワローズ、千葉ロッテマリーンズなど、地名を前面に出す球団が増えてきましたが、長い間、心から広島市民に愛された球団が、こうしてリーグ優勝を果たすことは、うれしい限りです。何とか、日本一まで頑張ってもらいたいですね。

 

ということで、今日は、広島カープを語る・・・でした。