大川小学校 津波判決

今朝は、この判決を多くの新聞で、取り上げられていました。私がPTAにかかわっていた時のさいたま市の教育長の教え子が、宮城県石巻市の大川小学校の教師として働いていました。そして、3・11で、命を落としたのです。

 

今回の判決については、どのような判決が出ようとも、複雑な気持ちで受け止めざるを得ないということは、わかっていました。

 

児童74人、教職員10人の計84人が、死亡・行方不明となり、当時、学校にいて助かったのは、児童4人と教員1人の5人だけという、何とも痛ましい出来事です。地震が発生し、津波が到達するまでの50分間に、どんなやり取りがあったのか。

 

皮肉にも、大川小学校は、津波発生時の避難場所になっていました。しかし、最後の7分間で、裏山への避難ではなく、「三角地帯」と呼ばれる北上川堤防近くの高台に避難しました。児童の遺族は、「なんで、津波に向かって非難したんだ」とその疑問を今でも持ち続けていますが、「三角地帯」は学校よりは高台にありました。

 

さいたま市の元教育長の教え子だった教員も、何の疑いも持たず、児童を守るという一心で「三角地帯」に避難しようと考えたのでしょう。しかし、指揮を取った教員も児童とともに行動した教員も、みな命を落としたという事実だけが残り、どんなやり取りがあったのかという真実はわからないままです。

 

今回の判決で、私たちが強く受け止めなければならないことは、「子どもの命を守るため、学校は重い責任を負う」ということです。もちろん、保育園、幼稚園も含めたすべての教育関係者にとって、肝に銘じなければなりません。

 

この判決については、的確なコメントが出せない私ですが、保育園の子どもたちの顔を思い浮べながら、子どもたちの命の重さを感じるだけです。