フィデル・カストロ

キューバで半世紀にわたり、独裁政権を築いた、フィデル・カストロ前国家評議会議長が25日に死去しました。1959年のキューバ革命の時には、私はまだ生まれていません。私のカストロ氏の印象は、野球が大好きで第1回WBCで、日本とキューバが決勝で対決し、王監督やイチロー、松坂の日本が優勝したのですが「金でも銀でもどちらになっても凄いことだ!」と、自国のキューバ選手をたたえるだけでなく、日本への敬意ある態度が印象的でした。

 

カストロ氏は、親日家でもあり、2003年には、広島を訪問、私邸には日本庭園もあるそうです。日本にもゆかりのある人々が多いとのこと。

 

キューバ革命の前までは、キューバは社会主義国家ではありませんでした。革命後の半世紀、大国のアメリカの圧力に屈せず、国の独立を守り、教育、医療の無料化など国民生活改善への取り組みは世界でも評価され、ただの独裁者とは違う一面を持っていたのかもしれません。

 

一方では、革命で財産や自由を奪われ、亡命したキューバ人も多く、「キューバにまだ自由はない。フィデルの死を機に自由を取り戻し、自分も晴れてキューバ地に足を踏み入れたい」という亡命者の声もあります。

 

どちらにしろ、33歳という年齢で、キューバ革命を実行し、国のトップに立つということは、実行力も、知恵もカリスマ性も想像を超えるものであることは、間違いありません。

 

カストロ氏の死を悲しむ声も喜ぶ声も多くあるでしょうが、昨年の7月には、キューバとアメリカは正式に国交を回復し、今年の3月には、米大統領としては88年ぶりに、オバマ大統領がキューバを訪問しました。

 

今後のキューバが、国民の自由と幸福を享受できるように、また、敵対という構図をなくして、世界の中で、大きな影響力を持つ国であってもらいたいですね。