ディベートからネゴシエーションへ

ある高校で行われたディベートによる授業活動です。

 

「生徒の授業態度は、成績に入れるべきである」に対して、肯定派は「生徒の中には、熱心に授業に参加していてもテストで良いスコアを取ることができない生徒がいる」「クラスの雰囲気というのは学習する上でとても重要なので、良い雰囲気を作ろうとしている生徒は評価されるべきである」と主張します。

 

一方、否定派は、「教師は生徒の態度を平等に評価することはできない」「そもそもどうやって『態度』を評価するのか」と反論します。こうして、両サイドの主張が終わったところで、聞き手が勝敗をジャッジするのが、ディベートです。

 

肯定派になろうが否定派になろうが、論理的に内容を組み立てて、人前で話す訓練は、これからは重要になるのは間違いありませんが、大人の実際の社会では、「白黒をはっきりさせる」というやり方は、後々しこりが残り、商談などの折衝技術としては、あまり得策ではありません。

 

私も、民間企業で働いていた頃は、多くの商談を行いましたが、双方の主張にギャップがある場合は、白黒つけることよりも、お互いが納得するゴールに向けて話し合うことの方が多かったですね。例えば、条件折衝の場合などは、こちらが85%で、得意先が80%で納品といった場合に、売上金額が〇〇に達成したら納入率を見直しましょうといった商談内容は、日常茶飯事でした。そもそも、勝った負けたでは、継続しての信頼関係は築けないものです。

 

「勝ち負けを競うものではなく、交渉相手とともに課題を解決する建設的な協働のプロセス」をネゴシエーションと言います。

 

冒頭の高校の授業の例を使うと、肯定派と否定派の意見のどちらかにするのではなく、「授業態度を成績に反映するかどうかを各生徒に決めさせる」「試験の成績が同点だった時に、態度の悪かった生徒の評価を下げる」「教師は、各授業の終了時にどのように評価したか生徒に伝える」などのプランが提案されたようです。

 

このネゴシエーション術が、今注目をされています。特に、私たち大人のやり取りの中では、「落としどころを決める」ということを何度も行っていますね。

 

そう言えば、保育園でも6歳の子が、4歳同士のケンカの間に入って、「こうしたらいいんじゃない」という話をするシーンがあります。これも、立派なネゴシエーション術です。(笑)