愛犬の死

昨日の保育園の卒園式をどこかで見ていたのか・・・ちょうど、卒園式が終わった午前11:30頃に、我が家の愛犬が、静かに息を引きとりました。明後日、だびに付するまで、自宅で安らかに過ごします。

 

まだ、子どもたちが小さかった12年前に、「犬を飼いたい」と子どもたちから、ありがちなリクエストがありました。ペットショップで購入することを良しとしなかった私は、当時できたばかりの、さいたま市の動物愛護センターで行われた、犬の里親会に子どもたちを連れていき、オスの子犬を引きとることになりました。

 

命が亡くなるまで、責任を持って飼うことが最低限の条件です。我が家では、カメやハムスター、熱帯魚などの生き物を飼っていましたが、子どもたちに、動物を飼うことと死を受け入れることをきちんと経験させるのが犬を飼う目的でした。しかし、そんな理屈抜きに、すぐに子犬は、家族の一員となります。

 

子どもたちは、走り回る子犬に、「ラン」と名前をつけました。この日から、私も朝の犬の散歩が習慣となります。日曜日には、少し遠くまで散歩に行って、農家や家庭菜園の畑を見ながら、ホワイトきゃんばすファームの参考にもしました。キャンプにも連れて行きました。家族として当たり前の存在というのは、どこに行くにも、家族と同じ行動を取るようになります。

 

この1週間は、散歩もままならなくなり、ついに歩くこともできず、寝たきりとなりました。エサや水は、注射器のような道具で、口に運びます。そして、昨日は、「ありがとう」と言いたかったのか、唸るように声を絞り出し、安らかに眠るようにあの世に旅立ちました。

 

まだ小さかった子どもたちは、12年の歳月で、号泣することもなく、静かに眠る「ラン」の体をなでながら話しかけます。「ラン」が子どもたちに与えてくれたものは、数えきれないほどですが、それを受け止めて、大切な家族の死を経験することになったと思っています。

 

子どもからペットを飼いたいというリクエストがあったら、親は、何を子どもに伝えるのか・・・生きること、死ぬこと・・・深く、答へのないことを子どもたちに考えさせる機会となることだけは、間違いありません。

 

大人の私も、愛犬の死を受け入れ、愛犬からもらったたくさんの大切な事を思い出しながら、冥福を祈るとします。