明治21年(1888年)

今週は、13日の保育参観で、園児がママにプレゼントする作品を作っています。今日は雨でしたので、教室内で母の日制作がほぼ完成しました。手作り感一杯の心のこもったプレゼントを保護者の皆様はお楽しみください。

 

さて、今日は、面白いコラムを見つけました。都道府県の数が現在の47になったのは、明治21年(1888年)だそうです。当時の人口1位の件は、意外にも新潟で166万人です。2位が兵庫で151万人、3位が愛知144万人で東京は4位だったそうです。高度経済成長の始まりである昭和35年に、東京が1位の968万人となります。

 

新潟県の1位には、私も予想外でした。(新潟県民の皆様・・・すみません)

 

今も昔もあまり変わらないと言われますが、人口の増減は、雇用の吸収力に比例します。明治時代の半ばまでは、当時の主力産業であった稲作農業が一番盛んな新潟県が一番雇用吸収力があったということです。

 

次代が変わり、1960年代から1980年代の高度経済成長期には、日本は世界の工場となり、東京、横浜、大阪、神戸などの湾岸都市が栄えました。そして今、世界の工場は中国や東南アジアなどの新興国に移り、日本国内ではサービス産業が雇用の中心です。サービス産業が機能するのは、お客様となる人や企業が集まる都市圏、地方都市、県庁所在地ぐらいで、その他では、人口が減り続けているのが、日本の現状ですね。

 

問題は、これからの時代をどうしていくかです。日本全体での人口減は、現実として受け止めなければならないとしても、これ以上の人口の都市集中は、避けたいところですね。

 

地方創生には、様々な策があるでしょうが、大きな対策としては、雇用とのリンクです。IT化(もう古い言葉かもしれませんが)の更なる普及で、在宅でも十分に仕事ができる環境が整ってくれば、地方で生活し、自然の多い中で子育てをしたいという若者も増えていくでしょうし、より安全な、または多くの付加価値を持った作物を作るという意味では、農業で起業する若者も地方で増えていくかもしれません。

 

ベタな言い方ですが、人それぞれの「しあわせの尺度」がどんどん多様化する世の中になってくれば、雇用だけでない様々な魅力的な町が、人口が増えて、地方を元気にしてくれるかもしれませんね。いずれにしても、明るい日本の未来を私たちは次世代に託していかねばなりません。