哲学で思考を鍛錬

昨日のピクニックランチに続いて、今日は「青空給食」を楽しみました。土曜日の人数だからできる、特別バージョンです。屋上にゴザを敷いて、机を置いて青空のもとで風を感じながらの給食です。何とも贅沢な時間です。

 

子どもたちの会話は弾み、おかわりも進みます。おにぎりに団子汁、そしてウインナーを餃子の皮で巻いて、パリパリの新食感おかずです。昨日、今日と、楽しいランチとなりました。

 

さて、今日は「哲学」の話です。フランスパリの高校では、高校3年生になると、伝統的に、哲学の授業を行います。ある男子生徒が手を挙げます。「心理学はある同一の社会に生きる個人にのみ機能する。アマゾンの森で暮らす先住民には応用できないと、僕は考える」

 

この授業では、哲学の歴史や哲学者の名前を暗記することではなく、哲学者の言葉などを引用したテーマに対し、自分の考えをいかに論理的に展開できるかが試されます。もちろん、決まった答えなどありません。

 

皆さんは、哲学というとどんなイメージを持ちますか?

 

「生と死」の問題や、「生甲斐」「愛について」「幸福とは何か」「美とは何か」こんなテーマを理論付ける学問ですね。自分には関係ないし、考えるだけで疲れると思ったあなた・・・実は、今までの人生の中でも、様々な出来事に対して、哲学的に瞬時に判断し、自分の人生を選択してきたのです。こう考えると、他人事ではありませんね。

 

人類は、ブッダはもとより、アリストテレスから中庸の大切さを学び、セネカから人生の時間の使い方を学び、カントから世界平和の方法を学び国際連合の草案を受け取り、キルケゴールから絶望からの脱出方法を学びました。

 

私たちが、現在直面しているいろいろな問題に、哲学は本当に正しい答えを与える可能性が大いにあると言っても過言ではありません。長い歴史の中で、先人たちの知恵が「哲学」として受け継がれていると、ここは素直に考えてもいいと思いませんか。

 

フランスでの哲学の試験は、「欲望は本質的に限りがないのか」という問いなどが出されるそうです。どうですか、そんなことに答えを出すことなど全く無意味と思った人も多いかもしれません。しかし、「考える」ことの大きな鍛錬になるのです。高校生には、大いに考えてもらいたい課題ですね。