原級留置

園児たちの夏カゼも、ようやく収まってきたようで、今週のスタートも元気な子どもたちが登園です。小中学校や幼稚園は、先週から夏休みに突入しましたが、保育園は、いつも通りの月曜日です。

 

さて、義務教育では、法的な根拠があったとしても滅多に使えない「伝家の宝刀」があるのですが、その一つが「原級留置」です。簡単に言えば、留年あるいは落第のことです。

 

高校以上では、成績や出席日数等に応じて、決して珍しい措置ではありませんが、義務教育段階の学校では、ほとんど耳にすることがありません。世間体を気にする日本人にとってみれば、「〇〇さんのところの息子が留年になったそうよ・・・」と、その理由を問われることもなく、レッテルを貼られてしまいますね。

 

ところが、世界を見れば、そんなことはなく「うちの子は、学年の学習内容を習得していない」という理由で、留年を願い出る保護者の存在は当たり前という国があります。進級判定には、教員、保護者に加え、学級委員の三者が決定権を持つ国もあるそうです。生徒が判定に加わるのです。

 

もう一度、日本人の保護者に聞きます。学習の到達度には当然ですが個人差があります。また、病気療養や虐待など、やむを得ない事情で学校に通えないこともあります。本当の意味で学ぶ権利を保障するならば、本来、その子に合った進級判定を行い、その結果を踏まえた判断をしなければならないのでは・・・。

 

「子どものため」という意味をもう一度考える必要があるかもしれませんね。

 

ホワイトきゃんばすは、異年齢保育を行っていますが、当然、年長5歳児全員が、運動能力や言葉や学習能力などで、年中4歳児全員を上回っていることなどあり得ません。様々な能力には個人差があり、個性と個性が入り交じり相乗効果が生まれています。

 

当然、「うちの子は、同じ学年の子と比べると、遅れている」と我が子を見てしまう親もあります。親は、どうしても、他の子と比べてしまいます。気持ちは分かります。しかし、そんなことで悩むのなら、昨日の我が子より今日の我が子がどれだけ成長したかを見るようにと、今まで何人もの保護者に話をしてきました。

 

差があるのは当たり前だし、劣っている能力があったとしても、人としての生きざまには、全く関係がないからです。できないことが多くても「人徳」をたくさん持った人を私はたくさん知っています。

 

おやじ園長は、「留年を推奨するのか・・・けしからん!」と誤解されるといけませんが、長い人生に、1年2年の回り道など、あってしかりですし、むしろ、その経験がプラスに働くことが多いのではないかと、年齢的には、かなりの大人になった私は、思うのであります。あなただって・・・そう思うのではありませんか?