りんごかもしれない

今日は、朝から激しい雨が降り、久々に気温30度を下回りました。プールはお休みして、寺子屋園児は、ショッピングセンター探検をしました。1階の催事コーナーでは、サーバー式ウォーターのデモンストレーションをしていました。

 

早速、5歳男の子が「この水はどこの水ですか?」と店員さんに質問すると「富士山の水です」という答えが返ってきました。「富士山って・・・山じゃないの・・・なんで水があるの?」と子どもたちの問いが始まります。「地下水です」という説明に、子どもたちの???が、ますます広がっていきます。

 

子どもたちが考えても、「ちかすい」という言葉は理解できません。「富士山に降った雪や雨が、富士山の中を通っていって、ある場所からボコボコとあふれ出るんだよ」と助け舟を出します。

 

「えっ~それなら土の中を水が通ってるんだから、水は汚れるんじゃないの・・・」といった感じで、子どもたちの問いが、ますます深まっていきました。いい感じです。

 

さて、「りんごかもしれない」という絵本をご存知ですか。作者は、ヨシタケシンスケさんという方で、この本は、彼が描いた初めての絵本だそうです。

 

「ある日、主人公の男の子が学校から帰ってくると・・・、テーブルの上にりんごが置いてあった」「でも、もしかしたら、これはりんごじゃないかもしれない」という考えになり・・・「もしかしたら、大きなサクランボの一部かもしれない」「むいてもむいても皮かもしれない」と、もっともっと「りんごじゃないかもしれない」が続きます。

 

自分の考えに自信がない人も、友だちの考えと違っているんじゃないのかなと心配な人も、実は、友だちと違う自分一人だけの考えが、とても大切になってきます。

 

今日の保育園の子どもたちの例で考えれば、富士山の水は、どうやって今ここにあるのか?というのも、子どもたち一人ひとりが、それぞれの答えを考えると、ショッピングセンター探検が、深い学びの時間となるのです。