「北の国から」日本社会を見る

今日は、午後から雪が降る予報でしたが、すでに午前中からチラチラと白いものが舞い降りてきました。子どもたちは、節分の「鬼のお面」の制作をしましたが、寺子屋園児は、少しだけ屋上で遊びました。

 

「どうして雪が降るの?」「明日の朝は、この屋上はどうなっている?」「雪が降ると困ることは何?」とクイズをしながら、空を見上げ、雪を口に入れてたりして楽しむ子どもたちです。「レモンの味がした・・・」「ちょっと甘い・・・」と珍会話が続出です。

 

さて、北海道が舞台の人気ドラマ「北の国から」の話は、このブログでも何度も取りあげました。ちょうど、私が高校生の時に、このドラマがスタートしました。「北の国から」の最終回を見てから、その夜の夜行列車に乗って、北海道へ旅立つ・・・という、何とも、粋な(自分で言ってしまう?)旅をした私です。

 

当時は、上野から青森まで、「八甲田」「津軽」「十和田」の3つの夜行列車が走っていました。東北本線をひたすら走る「八甲田」と日本海を経由する「津軽」に、常磐線経由の「十和田」は、ともに上野を夜中に出発し、早朝に青森に到着します。そのまま、青函連絡船で3時間50分かけて、函館に到着するのは、昼前でした。

 

石川さおりさんの大ヒット曲「♪上野発の夜行列車降りた時には、青森駅は雪の中♬~」の夜行列車は、「八甲田」「津軽」「十和田」です。

 

話が、脱線しましたが、この「北の国から」で起きる出来事が、戦後日本の姿の象徴としてみることができるとして、『「北の国から」で読む日本社会』という本が出版されたそうです。

 

例えば、田中邦衛さん演じる主役の五郎が、1960年代前半に北海道から東京に出たという設定については、当時は集団就職という形で多くの若者が東京に移住してきた姿とかぶります。

 

また、大滝秀治さん演じる北村清吉が、多くの農家が夜逃げ同様に離農した過去を語るシーンでは、1961年に農業の近代化と合理化を図る「農業基本法」が制定され、北海道では経営規模が拡大する一方、大量の離農者も出た事実と重なります。

 

石炭産業の高い事故率や衰退・・・純たちがツケを払わされたバブル経済崩壊、そして、このブログの冒頭に触れた「夜行列車」も廃止に追い込まれます。五郎が妻の葬儀で東京へ出向く時、地井武男さん演じる中畑から交通費を借りるのですが、なかなか葬儀に現れません。実は、飛行機ではなく、夜行列車を乗り継いで、北海道から東京へ移動していたことを思い出します。

 

「北の国から」での様々なシーンや時代背景は、戦後日本社会の歩みとして振り返ることができると、著者は語ります。

 

そして、今若者たちは、生きることへの新たな価値観を見出しています。「一定の経済成長や効率性の追求は必要だが、忘れてはいけないことがある。便利であればそれでいいと言うものではない」という考え方が広がり、「幸せ」という形が、お金・モノだけではないと、本気で思うようになりました。

 

「北の国から」での、黒板家の生活は、水道がないなら川からパイプを引きます。電気がないなら、風力発電を作ってしまいます。しまいには、廃材の丸太で家を建ててしまいます。決して、贅沢な暮らしではありませんが、自立した生活を送っています。しかし、自立しながらも、仲間や地域社会とも支え合うことが、黒板五郎の基本的な生き方です。

 

どうですか・・・私たちが、これからの若者が、自分らしく生き、社会を豊かにするためのヒントが、「北の国から」には、いっぱい詰まっているのかもしれません。

 

「北の国から」のファンは、私も含めたくさんいるでしょうが、こんな新しい見方で、もう一度振り返ってみませんか。