震災から7年・・・子どもが戻らない

3・11東日本大震災から、もうすぐ7年が経過します。東京電力福島第一原発の近くを走る国道6号線を昨年の5月に、息子の運転で通った時の、言葉が出ない衝撃を今でも忘れることはできません。町が、3・11から時が止まっているのです。

 

7年の歳月が経過し、この4月から、避難指示が解除された福島第一原発周辺の5つの町村で、学校が再開されるそうです。

 

「良かったね・・・」とは、簡単には言えません。学校が再開される、富岡町・浪江町・川俣町・葛尾村・飯館村の5つの町村では、震災前の通学者数が4002人でした。しかし、今年4月の通学予定者は、わずかに132人です。震災前の3.3%の子どもたちしか帰ってきません。

 

5町村に震災前は、中学校や小学校が22校あったのですが、今回は、1自治体1校となりました。例えば、1階に理科室、2階に小学校、3階に中学校といった形です。

 

そして、国の復興予算が活用されます。富岡町では、約8億6000万円を投じ、全面改修した校舎のすべての教室にエアコンを設置しました。浪江町は、給食費が無料です。川俣町では、約4億円をかけて開閉式の屋根付きプールを整備しました。

 

それでも、通学を希望する子どもの数は伸びません。町に戻ったのは高齢者ばかりで、子育て世代は増えていないそうです。ある自治体の教育委員会幹部は「むしろ希望者『ゼロ』にならなくてよかったいうのが本音」と打ち明けます。

 

震災後7年の月日が経過しましたが、復興には程遠いと言わざるを得ません。

 

震災前の住民が帰ってこないのなら、県外の一般住民をターゲットにした取組みも始まったそうです。中学生までの子どもがいる世帯への給付金や家賃の補助制度などの金銭面での補助や、教育面で、子育てや教育に力をアピールする村も出てきました。

 

時間はかかるでしょうが、福島第一原発周辺の町や村に、早く子どもたちの笑顔があふれるように祈るだけです。