ミライをつくった人②コペルニクス

私が中学生の頃、哲学者カントの「コペルニクス的転回」という言葉を社会の授業だったか、教えてもらいました。今までの常識が覆るような想定外の出来事を意味するのですが、この言葉を気に入った私は、ささいなことでも「これは、コペルニクス的転回だ!」とよく言っていました。(笑)

 

今日は、その「コぺルニクス」の話です。

 

1000年以上にわたって信じられていた「天動説(地球を宇宙の中心だとする説)」に対し、地球は宇宙の中心ではなく、太陽のまわりを回っているのだという「地動説」を唱えた天文学者です。

 

もし、私が、こんな世界の常識をひっくり返すような大発見をしたら、本にして大ベストセラーを狙うべく、世界中の記者を集めて、堂々と記者会見することでしょう。(笑)

 

しかし、コペルニクスは、自分の考えを本にして出版するつもりもありませんでした。コペルニクスが生きた15世紀後半から16世紀にかけてのヨーロッパは、コロンブスによる新大陸発見、マゼランの世界一周旅行、レオナルドダヴィンチやミケランジェロなどによるルネサンス美術、マルティン・ルターによる宗教改革など、人々の世界観が大きく変わる激動の時代でした。

 

コペルニクスの時代、天文学の世界には絶対的な教科書ともいえる本がありました。古代ローマの天文学者プトレマイオスが著した「アルマゲスト」という専門書です。全13巻からなるこの大著のなかで、プトレマイオスは、天動説を数字的に説明し、その考えは1000年以上にわたって支持されてきたのです。

 

しかし、コペルニクスはその矛盾を見逃しません。「本来宇宙とは、もっとシンプルな法則に従って動いているはずだ。もし、全知全能の神がこの宇宙をつくったというのなら、こんな不格好な動きにするはずがない。もっと美しく、もっと自然な動きをしているはずだ」

 

そして、地道な天体観測を続け、様々な検討を重ねた結果、コペルニクスはある結論にたどり着きます。「太陽を中心に考えた瞬間、星々の動きは驚くほどシンプルで、美しいものになる。天動説にあったような、不自然な動きをさせなくてすむ」これが、地動説の完成であり、「太陽系」が誕生した瞬間なのです。

 

しかし、聖書のなかには、神が大地の土台をいつまでも動かないように置いた、という話が出てきます。地動説は、世間の常識に逆らうだけでなく、神にも逆らうような暴論とコペルニクスは考えます。

 

そして、30年が過ぎて、ようやく「天体の回転について」の出版の直前に、70歳の生涯を閉じることになったのです。本の試し刷りが上がってきた当日に亡くなったといわれています。

 

歴史というものは、皮肉なもので、当事者の死後に、世に広まることが多いですね。「ひまわり」で有名な画家のゴッホなども、生前は、無名の画家でした。

 

そして、コペルニクスの地動説は、17世紀の天文学者ヨハネス・ケプラー、そして「それでも地球は回っている」の言葉で有名なガリレオ・ガリレイらに受け継がれ、完成します。

 

ウソのような本当の話ですが、コペルニクスやその仲間たちが恐れた、ローマ教皇庁とカトリック教会が、正式に「地動説」の正しさを認めたのは、なんと1992年。日本でいえば、平成入ってからのことだそうです。

 

私たちは、どうしても長く常識と言われたことに対し、疑う目を持つことすら考えません。そこには、〇〇さんの説という人の功績もありますね。

 

しかし、未来をつくる子どもたちには、「違和感を大事にすること」「人を疑うのではなく、コトを疑う力」を持ってもらいたいですね。