障がい児は「普通の友だち」

のんびりの日曜日ですが、今日は少しまじめな話です。

 

神奈川県横須賀市に住む、障がい児の親たちで作る一般社団法人が、子どもが障がいの有無にかかわらず過ごせる学童保育を設立したそうです。そこには、発達障害や知的障害のある子どもと、障がいのない子どもが一緒にいます。

 

知的障害のある女の子を持つ保護者は、「幼稚園では、周りの子が自然と手を差し伸べ、遊ぶ関係があった。しかし、小学校では支援学級に入り、障がいのない子と過ごす時間はほとんどなくなってしまった。これでは、障がいへの理解は進まない。せめて放課後、一緒になれる環境を作りたい」と思い、この学童の設立を思い立ったそうです。

 

また、障がいのない子を持つ親は「引っ込み思案だったが、他の子の面倒を見るようになった。障がいのある子を特別ではなく普通の友だちと考えている。人に歩み寄ることができるようになって、うれしい」と我が子の成長を喜びます。

 

遠い昭和の話ですが、私が小学生の頃は、支援学級などなかったので、クラスの中に、障がいを持った子がいました。当時の私は、「障がい」という言葉など知らないので、「少しかわった子」ぐらいの認識でしたね。今考えれば、担任の対応も良かったのですが、クラスが障がいを持つ児童を中心にまとまっていました。今でも、よく覚えています。

 

保育園の園長の立場として、小学校入学で、普通学級が特別支援学級かの選択について、保護者と真剣に話し合うことが、今まで何度もありました。保育園での生活時間は長いので、家では見せない行動も、保育園の先生たちは把握していることが多いからです。

 

もちろん、どちらの選択が正解という答えなどありません。学習面、コミュニケーション力、担任のかかわり、他の保護者の視線など、具体的なシチュエーションで、普通学級と特別支援学級で考えられる可能性を保護者に話します。そして、最後は、保護者に自分で判断してもらいます。

 

この問題を色々な人に相談しても、結局は、たくさんの船頭の意見に混乱してしまう事もあるので、私は、「どんなことがあっても、親として最後まで我が子を守ることを決めておけば、あとは、決断するのみ。いつでも、変更ができる」と、私の個人の影響力を与えないようにしています。我が子のことは、親が決めるのです。

 

いつの間にか、「障害を持った子どもたちへ手を差し伸べよう」という時代の流れで、公立学校の中に、当たり前に特別支援学級がつくられ、子どもたちは、穏やかな環境の中で、一人一人に寄り添った育成計画が進められています。

 

しかし、冒頭の保護者のように、日本が、本当の意味でのバリアフリーの世の中になっていくには、障害のない人が、障害を持つ人への理解が進まないと、掛け声だけのスローガンに終わってしまいます。

 

障害を持つ保護者にも、様々な考えがあります。どの道が、子どもたちにとっていいのか、日本にとっていいことなのか・・・難しいことですが、考え続けることが必要です。