上原浩治の凄み

5月20日に異例のシーズン途中の引退発表をした上原浩二投手・・・彼の輝かしい成績は、ルーキーで20勝、メジャーリーグでワールドシリーズ胴上げ投手、前人未到の100勝、100セーブ、100ホールド・・・今日は、そんな彼の残した数字の話ではなく、感情むき出しの人間臭い一面に注目します。

 

入団1年目、巨人の松井選手と本塁打争いをしていたヤクルトのペタジーニ選手への敬遠指示に涙を流して悔しがるシーンは、今でも記憶に残ります。

 

引退会見で「野球生活の中で原動力となっていたものはなんだったのか?」の質問に、「それはもう、負けたくないという気持ちと反骨心ですね。もう、それだけです」と言う上原選手は、背番号「19」にこだわります。

 

これには、19歳の自分を忘れないという理由があります。「高校を卒業した私は大学受験に失敗し、浪人を余儀なくされた。あの1年ほどつらかった時期は、私の人生にない。あの時のことを思い出せば、どんなことにも耐えられた」と語ります。

 

彼は、高校で野球部に入部し、高3でピッチャーに転向するも控え投手で高校生活を終えます。大学のスポーツ推薦枠にはまったく名前があがらない、遅咲きの投手だったのです。

 

そして、彼の凄みは、もう一つあります。これには、組織やチームの中で自分をいかに輝かせることができるか・・・中高年が学ぶメッセージがあるといいます。

 

上原投手は、先発から中継ぎ、抑えと、どんな役割でも結果を出しました。置かれた場所で咲くというゼネラリストっぽいところが、サラリーマンの共感を呼んでいるのです。会社の辞令で、どんな部署にでも異動を余儀なくされる会社員にとって、彼の生き様に勇気づけられる人が多いのかもしれません。

 

中高年になれば自分のやりたいことだけでなく、組織のなかでも期待される役割も変わってきます。上原投手のように置かれた場所で咲くことができるのか。AI時代になるからこそ、感情も大事になります。思いをどう表現し、周囲を動かしていくか。感情をむき出しにする人間臭さから学ぶことが多いのかもしれませんね。

 

上原投手の凄み・・・どうですか、見方が変わりましたか。