平成に浸る②

私が若き頃に、のべ53日旅した「北海道」の当時の国鉄路線図は、北海道一面に張り巡らされていました。鉄道は、地域のインフラとして欠かせない位置付けだったからです。しかし、国民の税金をたれ流しながらの「日本国有鉄道」が、ついに分割民営化されたのです。これは、昭和62年のことです。

 

「儲かる路線」と「儲からない路線」が分けられ、儲からない路線が次々と廃線となりました。北海道には、車窓からの素晴らしい景色を楽しむ路線がたくさんありましたが、多くが廃線に追い込まれます。

 

今でこそ当たり前の「駅ナカ」という言葉は、平成に入った頃にはまだありませんでした。駅本来の役割は、大勢の乗降客を安全かつスムーズにさばくことにありました。しかし、駅は多くの通勤、通学客や旅行客などが利用します。こんな集客がある場所なのだから、商業スポットとして活用できないか・・・となったのです。

 

昭和から平成の初めに、東京駅には「東京銘品コーナー」という手土産コーナーがあり、そこには、私が勤務していた洋菓子メーカーが、出店していました。当時、東京支店での年間売上ナンバーワンの店でした。

 

「東京駅を変えてみたい!」という野心を持った私は、東京銘品コーナーを運営していた、東日本キオスクに大ばくちを打ちます。駅のことを知り尽くしたキオスクに、これからの駅のビジョンはこうあるべきだ!と大プレゼンテーションを行いました。私が考え抜いた「駅ナカビジョン」です。

 

そして、会社としても、本格的な駅ナカショップを出店することになりました。私の思い出に残る大きな仕事でした。新しい取組みだったので、商品企画・工場・スタッフ部門の協力をいただき、会社を縦断する仕事をさせていただきました。

 

あのビジネス番組「ワールドビジネスサテライト」にもちゃっかり出演し、「これからの駅はこうかわっていく・・・」みたいなコメントをした記憶がよみがえります。(笑)

 

平成17年3月には、JR大宮駅構内に「エキュート大宮」がオープンし、JR東日本の主要駅は続々と変わっていきました。駅はただの乗り換えの場所から、わざわざ行きたくなるショッピングエリアとなったのです。

 

「駅ナカ」だけでなく、「空ナカ」という言葉も定着しました。東京駅の次は、羽田空港にターゲットを移した私は、新ターミナルに店舗を出店することができました。

 

今日の「平成に浸る」は、「駅ナカ」「空ナカ」について、ほぼ私の個人的な思い出につき合ってもらいました。今でも、東京駅と羽田空港に足を運ぶと、どっぷりと思い出に浸ってしまう私ですが、知らないブランドや限定商品ラッシュで、世界を意識した空間に進化を続けていることに、新たな感動を覚えます。

 

どうですか・・・おでかけの折には、少し時間に余裕を持って「駅」「空港」をぶらりしてみませんか・・・「駅ナカ」「空ナカ」という言葉は、平成に生まれたんですよ。

 

そうだ・・・「道ナカ」も今は凄いことになっています。テーマパークのようなサービスエリアや道の駅・・・これも、平成時代の進化ですね。