大川小訴訟の本質

今日はクリスマス発表会、2回目のリハーサルです。子どもたちのパフォーマンスは、昨日よりも格段によくなっています。これで、11月から始めた長い練習もおしまいです。明後日の本番は、結果でしかありません。ここまで練習したプロセスを職員がしっかり見てきました。子どもたちは、本当によく頑張りました。

 

さて、今日は、大川小学校の訴訟について、考えてみたいと思います。これは、東日本大震災で児童74人と教職員10人の児童と教職員のほとんどが津波によって命を落とした、宮城県石巻市立大川小学校をめぐる裁判です。

 

この世間の関心を大きく集めた裁判は、最高裁で市と県の上告を退ける決定をしました。震災前の学校の防災体制に不備があったとして、市と県に約14億3600万円の支払いを命じた二審、仙台高裁判決が確定しました。

 

大川小の校長らには、児童の安全確保のため、地域住民よりもあるかに高いレベルの防災知識や経験が求められると指摘され、市のハザードマップで大川小は津波の浸水想定区域外だったにもかかわらず、校長らは、学校の立地などを検討すれば津波被害を予見できたと裁判では判断されたのです。

 

しかし、私が考えるには、大川小訴訟の本質は、別にあると思っています。

 

地震が発生した時に、ある教員が「山だ!」と叫んだそうです。しかし、その教員の意見が反映されずに、そのまま校庭に待機することになった・・・ここが問題です。

 

これは、全国の小学校や中学校に多く見られる組織上の問題です。私が、PTA会長をしていた頃、よく校長先生と話をしていたのですが、民間企業で働いていた私は、「職員会議では、若い教員の意見も活発に出るんでしょうね。もし、よろしかったら、PTA会長として、職員会議に出させてもらってもいいですか・・・」と言うと、校長先生は困惑してしまいました。

 

学校の職員会議は、教頭や教務主任が報告や伝達をしておしまいで、教員同士の意見の交換などほとんどないという実態を聞かされました。最近ではイエナプラン勉強会で顔を合わせる教員からも同じようなことを聞きます。

 

民間企業であれば、役職の着いた人だけが会議で発言をして、若手社員が黙って聞いているような会社は、じきに潰れます。若手も、自分の意見を躊躇なく言えるような風通しのいい組織が、理想ですね。

 

そして、役職がなくても、本質をついた意見をする社員の言葉が、重く受け止められるようになっていくのです。大川小学校の職員組織が、もっと風通しの良いものであったなら、「山だ!」といった教員の意見で、すぐに、子どもたちを高い場所へ避難させることができたのではないかと思ってしまいます。

 

この判決は、学校の安全対策への問題定義が大きく問われていますが、本質は、その根本にある学校組織の在り方だと、私は思っています。