親の過干渉

朝のラジオから、尾崎豊の「卒業」が流れてきます。そうだ・・・この曲だって立派な卒業ソングじゃないか!と口ずさんでしまいました。なぜか、私の世代は、尾崎豊さんのことを「オザキ」と呼び捨てます。「尾崎さん」でもなく「豊」でもなく、やっぱり、尾崎豊は「オザキ」なのです。

 

新型コロナウイルスの影響で、今年は卒業式の在り方も変わってしまいましたが、なんだか、今は、正統派卒業ソングよりも、オザキの「卒業」がしっくりくるのです。

 

さて、最近では、小学校低学年においても暴力行為や学級崩壊の件数が急増しているそうです。その原因の一つは「児童たちの『先生にかまってほしい』という気持ちが原因で起こる」と言われています。

 

例えば、授業中に児童の一人がおしゃべりしたりふざけたりすると、先生はその子を注意します。その様子を見た他の子たちも、先生の気を引くために便乗することで、結果的に学級崩壊へとつながるのです。

 

つまり、親が「過干渉」であることで、子どもが家の外でも誰かに頼ったり、甘えたり、かまってもらったりすることが、当たり前だと思うようになっている傾向にあるとある専門家は指摘します。

 

たぶん、どの親も、我が子への過干渉はいけないと思っているはずですが、どこに線を引くのかが難しいのかもしれません。昔は、兄弟も多く、親が一人一人にかまってあげることも少なかったのでしょうが、現代ではひとりっ子が増えて、親がつきっきりでかまってくれるようになりました。

 

それが行き過ぎると、子どもの自立心を阻み、子どもが家庭の外でも手厚い対応を求めるようになり、学校での様々な問題へと発展するのです。

 

ほったらかしや過保護といった両極端ではなく、親はドーンと真ん中に立って、子どもを「見守る」ことが大切です。このモノサシは、とても難しいですが、親が自分で決めないといけませんね。