「討論」ではなく「対話」へ

屋上にある立派な桑の木のマルベリー(桑の実)を子どもたちは、争うように収穫して摘まみ食いをしているのですが、5歳女の子と4歳女の子は、どろんこ広場のすみっこに、目立たない桑の木があるのを発見しました。

 

「チーズはどこへ消えたか」のかつての大ヒット小説を思い出しました。彼女たちは、あたらな場所を探して、冒険をしたのです。その結果、小さい桑の木ですが、二人で食べ放題となったのです。賢い二人ですね。

 

さて、私が学生の頃に「ディベート」という手法が、ブームとなりました。ある考えに対して、「賛成派」「反対派」に分かれて、討論するのです。例えば「日本のエネルギーには原子力発電が必要である」というテーマだとすれば、賛成派は、賛成の理由を論理的に並べて、論破するのです。反対派は、反対の理由を並べます。

 

当時、欧米諸国の学生は、常にディベートを練習しているので、プレゼンテーションなど、人前で話すことが得意で、日本人は口下手と言われていました。私も、少なからず、ディベートの手法に刺激を受けた記憶があります。しかし、相手を論破して負かすというやり方に、違和感を持っていました。

 

そこで、なるほど!と思う記事を発見しました。ディベートのような「討論」と話し合うことが基本の「対話」の違いです。

 

声の大きい人が有利(討論)⇔声の大きさは関係ない(対話)

違いがあれば攻める(討論)⇔なぜ違うのか?を探究する(対話)

考え方が変わらない(討論)⇔考え方が変わっていく(対話)

自分の想像の枠を越えない(討論)⇔想像を越えた新しい世界を知る(対話)

気まずい雰囲気になる(討論)⇔だんだん楽しくなる(対話)

 

どうですか・・・その通りだと思いませんか。今さかんに言われていることの一つは「お互いの違いを認める」ですね。「討論」は、相手を否定することになりますが、「対話」では、自分の意見よりも相手の考えの方が良ければ変えることもできますね。

 

さぁ~私たち大人は、子どもたちに「討論せよ」ではなく「対話しよう」を教えることが大切になってきますね。