時代が求めていること

今日は、気温が低くプールはお休みしましたが、久々の屋上遊びを子どもたちは楽しみました。自転車競走が年長年中男子の間で行われ、カメのエサやりも子どもたちが自主的に行っています。

 

そして、野菜の収穫です。ミニトマトはタライいっぱいです。最後のジャガイモ収穫もしました。この夏のジャガイモは大豊作です。1歳児男の子も「○○もじゃがいもとりたい!」と寺子屋園児に混ざって、土まみれです。

 

さて、この4月からの、小学校新学習指導要領の冒頭には、「社会構造や雇用環境は大きく、また急速に変化しており、予測が困難な時代となっている」と書かれています。

 

皮肉にも、今回のコロナウイルス騒動を見据えたかのような改定となっています。

 

つまり、社会の変化に臆することなく、主体的に挑戦する力が未来の人材には求められ、自分で課題を発見し、その課題を何とかして解決しようとする力のことです。

 

コロナ禍では、子どもたちだけでなく、それを導く教育者の側が、むしろ、生きる力を試されているのかもしれませんね。

 

学校の仕事は、子どもたちに「生きる力を育むこと」とよく言われますが、「生きる力」という言葉は、今では、教育の流行語大賞と言えるくらい、様々なところで使われています。

 

「生きる力」の定義は、色々あるのでしょうが、教育課題としては「対応例の記憶」から「対応力の育成」とも言えます。過去の事例を暗記したところで、未知の課題や困難には当てはまらないということです。

 

これからの時代が求める「生きる力」とは、保育園ホワイトきゃんばすでは、ブレることなく「子どもたちが自分で考えて、自分で答えを出すこと」です。でも、私たち大人世代は、そんな教育は受けていませんね。「指示に従う・・・1つの正解を求める・・・」が主流だったと考えると、子どもたちと一緒に、これからの時代が求めていることを探すことにしませんか。