大人の昔話④「語り」

今の子どもたちは、親や保育園、幼稚園での読み聞かせを通じて、昔話に触れる機会がありますが、古くから民話などは「語り」によって、親から子、孫へ、脈々と口頭伝承されてきました。

 

かつては、正月や祭りなど人々が神と出会う神聖な日、いわゆる「ハレの日」に語りは行われていたようです。

 

「むかしむかし・・・」という物語の語り始めを「発端句(冒頭句)」と言いますが、語り手と聞き手が物語の中、つまり、現生から異世界へと移っていくことを示す転換の意味も込められているそうです。

 

あまり知られていませんが、この発端句と対になる言葉が「結句(結末句)」で、その名の通り「これで話は終わり」という意味です。結句には、二通りの言葉があります。

 

一つは、語りが神聖なものという名残から「尊払い(とうとはらい)」が徐々に変化し、「どっとはらい(青森)」「とーぴんと(山形)」などだそうです。

 

二つ目は、主人公が幸せな結末を迎えたという意味の「一期がさかえた」から「いちがさかえもうした(福島)」「いちごぶらーんとさがったてが(新潟)」という言葉で終るそうです。

 

「語り」にも様々な形がありますが、今日は「百物語」を紹介します。

 

火を灯した百本のろうそくが並べられた部屋に、夜な夜な人々が集まり、ひとりずつ順番に怪談を語っていきます。そして、ひとり語り終えると同時に一本ずつろうそくの火を消し、話が続いていくにつれて次第に部屋が暗くなり、恐怖が増していくという、怪談特有の語り方です。

 

しかし、「百話を語りきると怪異が起きる」と伝えられており、百物語で百話すべて語るのは禁忌で、必ず九十九話で終えなければならないそうです。

 

興味深くなってきましたか・・・「百物語」のようにすれば、私のつたない「怪談」でも、子どもたちは恐怖に震えるのかもしれませんが、百話はご法度です。

 

いろりを囲んで、おじいちゃんやおばあちゃんが「語り」となる民話を聞きたくなってきましたね。