「男らしく・女らしく」

保育園のケズメリクガメですが、ついに名前が決まりました。寺子屋園児が出した候補の名前から、子どもたちが決めました。と言っても、多数決で「かめきち」です。名前が決まれば、子どもたちはさらに、リクガメさんに親近感を持つことでしょう。

 

さて、ジェンダーフリーの考え方は、時代の流れの中で、大きくなってきたと私も感じるところですが、家庭や学校、職場で行われる無意識の「刷り込み」や「押し付け」は、まだなくなっていないようです。

 

「夫が1ケ月の育児休業を取った。保育園の面接に夫が行くと『お子さんの普段の様子を聞きたいので、次回は必ずお母さんが来てください』と言われ、夫が日中も世話をしているので、細かいこともわかると説明しても『お母さんじゃないと困る』と繰り返し言われた」

 

「子ども向け英語学習DVDを息子と見ていると、お父さんが使う単語として『プレゼンテーション』『オフィス』が紹介され、お母さんが使う単語は『フライパン』『エプロン』『レシピ』だった」

 

「息子は家で、積み木や読書をするのが好きだった。が、夫や親戚はことあるごとに『そんなのは女の子の遊びでしょ…男の子なんだから外で遊ばなきゃ』と男の子らしさを求められた」

 

「小学校での社会科の授業参観では、先生が作った文章や写真はすべて、消防士や会社員は男性の仕事で、看護師や保育士は女性の仕事として描かれていた。目がテンになった」

 

どうですか・・・無意識で悪気はない内容だけに、私たちも、こんなことを言ったりやったりしているかもしれませんね。

 

従来、男は「強く、積極的、理性的」などという「男らしさ」を、女は「優しく、気配りができ、受け身、感情的」などの「女らしさ」を備えているとされてきました。しかし、遺伝や性分化について科学的な研究や、文化や歴史的観点からの知見が蓄積される中、「らしさ」は先天的なものではなく、男性中心の社会構造を維持するための規範や期待にすぎないことがわかってきました。

 

ジェンダーフリーの問題は、簡単ではありませんが、「男だから・男らしい」「女だから・女らしい」という言葉を使わないようにするだけで、無意識の過ちは少なくなると思っています。