さよなら「大垣夜行」

今日は、冷たい雨となってしまったので、「相撲」を子どもたちと楽しみました。私が、小学校6年の時の担任が、相撲好きで、「○○場所」として、年に6回ほど時間割を無視して、1日がかりの相撲大会を行っていました。その当時を思い出し、小学生も含めたチーム対抗での取組みです。勝ち負けがつく競技は、大いに盛り上がりました。保育園の新しいスポーツとして、「相撲」を取り入れていこうかと思っています。

 

さて、「大垣夜行」という列車をご存知ですか。昭和の時代の話ですが、1996年まで、東京駅を23時台に出発し、名古屋の先、岐阜県大垣駅に朝6時前に到着する夜行列車です。寝台特急ブルートレインではありません。普通列車の夜行列車なのです。

 

新幹線や特急・急行には乗車できなくて、普通列車、快速列車しか利用できない「青春18きっぷ」という格安きっぷが、今でも夏休みや春休みシーズンに発売されます。この切符の利用者を中心とした人気列車でした。

 

当時、横浜を過ぎて、戸塚で午前0時を過ぎるので、戸塚までの切符を購入し、戸塚を過ぎてから、青春18きっぷの日付けを入れてもらうことで、まるまる24時間有効となるのです。

 

私が、学生時代に旅をした時は、戸塚で日付けが変わり、大垣に翌朝到着。そのまま、鈍行列車を乗り継いで、九州の熊本駅着が23時過ぎ・・・わずか2000円足らずの運賃で、熊本まで行ったことがありました。時間はあるけど金がない学生時代の思い出です。

 

当時は、狭い4人掛けのボックスシートでしたので、なかなか寝られませんでしたが、同じボックスの身も知らずの旅人と、おしゃべりしながらの楽しい旅でした。そんな「大垣夜行」も、1996年からは、全車指定席の快速「ムーンライトながら」という名前になり、2009年からは、臨時列車として、春休みや夏休み期間に運行されてきました。

 

しかし、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、昨年3月以降は運行していません。そして、このまま運行を終了することが発表されたのです。この「ムーンライトながら」には、当時小学生だった長男を連れて、旅に出たこともあり、「大垣夜行」と共に、思い出深い列車でした。

 

昭和の「大垣夜行」は、毎日運行されていたので、酒に酔ったサラリーマンが、この列車に乗ると、気がついたら「静岡」「浜松」「名古屋」となり、朝一番の新幹線で、東京の会社へ出勤という笑い話も多かったようです。

 

私の青春時代の思い出の列車がなくなってしまう・・・私世代のおやじの中には、今頃、感傷に浸っているものが、多いかもしれませんね。(笑)