10年目の3・11

今年は、東日本大震災が発生してから、10年という節目の年ということもあり、コロナ禍でも、震災に関する報道が多いですね。10年前小学生だった○○君や○○さんが、現在は、医療現場で働いていたり、プロスポーツ選手になっていたりと、子どもの成長にとっては、10年という月日が流れるのは、早く感じます。

 

しかし、大人の私たちにとっては、時間が止まったままという人もあるでしょうし、つい先日起きた、忘れられない出来事と受け止める人が多いですね。

 

今日は、「3・11 14:46」の数字のまわりに、東日本大震災にかかわる画像を添付して、保育園の入口に貼り出しました。登園する園児が、まずびっくりして、指を指します。「これは何?」といった感じです。10年前ですので、保育園の園児は、みな生まれていません。小学校4年生の卒園児が赤ちゃんでした。

 

今日は、保護者の3・11の話をたくさん聞くことができました。

 

「ビルの35階で仕事をしていました。ビルが倒れるんじゃないかというくらい凄い揺れで、今でもしっかりと覚えています」

「銀行勤務で、15時の閉店前の出来事でした。あまりにも恐怖で、お客様と一緒に震えていました」

「新婚1ケ月で起きた大地震・・・甘いムードもぶっ飛びました」

「まだ大学生でした。就職活動の真っただ中・・・忘れられない記憶です」

「プータローしてました。(笑)(今は、3人の子どもを持つ立派なパパです)」

「実家が宮城県の石巻です。高台に家があったので、津波の被害にはあいませんでしたが、町は壊滅状態でした」

保護者の方々も、10年前ですので、ほとんどが結婚前です。この10年で、結婚して、子どもが誕生し、こうして保育園に我が子が通っていることを考えると、やはり、10年は長い時間なのかもしれませんね。

 

そして、朝の会では、子どもたちに「津波被害の写真」「人命救助の写真」「避難所生活の写真」「首都圏で電車が動かない写真」「コンビニの棚が空っぽの写真」などを見せながら、3・11の話をしました。

 

子どもたちは、写真を通じてですが、10年前に、とんでもないことが起きたことを理解します。コロナ禍でこの1年、多くの人が亡くなりましたが、東日本大震災では、一瞬にして、その2倍の命が失われたことを伝えると、いつもは賑やかな子どもたちもシーンと静まります。

 

「おうちの人に、10年前の今日は、何をしていたのか・・・どんなに怖かったか・・・たくさん話を聞いてごらん」と言ったので、今日は、親子で3・11の話をする家庭が多いかもしれませんね。

 

10年という月日が経ちました。被災地への国民の関心が薄れていると感じる人は、全ての世代で、9割以上という世論調査もあります。震災を風化させないために必要な取組みを挙げてもらうと、「学校など教育現場で子どもに伝える」が、最も多かったそうです。

 

ホワイトきゃんばすでも、子どもたちに「3・11」を伝えましたが、今日は、多くの学校で、子どもたちが、深く考える機会になったと思っています。そして、今の子どもたちが大人になるまでには、大きな地震が発生する可能性が高いことは、間違いありませんね。