稀勢の里 起死回生の小手投げ

日曜日の夕方は、大相撲のテレビに釘付けとなった人が多かったと思います。「感動した!」という言葉だけでは、まだまだ足りないような、どう表現したらいいものか・・・そんな千秋楽の大逆転優勝でした。

 

会社組織では、能力的にはどうかな?と思う人物が、役職を与えられると、がぜん人が変わったように、「仕事ができる人」になることがよくあります。部長、課長、係長と役職がついたことで、責任感が増し、名刺に刷られた役職名は、対外的にも「ちゃんとせねばならない」という気持ちになるようです。

 

稀勢の里は、とっくの昔に横綱になっていても不思議ではない実力者ですから、この例とは同じではありませんが、「横綱」という看板は、彼をさらに強くしたようです。「忍耐」「気迫」など、よくある二文字の言葉を超越した凄みを感じます。

 

13日目の日馬富士戦での負傷以降の強行出場に話題は集中しますが、初日の6日前に、稀勢の里は、左目の上を11針も縫う大ケガをしています。この程度の事は、ケガとは言わないそうです。

 

2001年、鬼の形相で、貴乃花が武蔵丸を投げ捨てた取り組みが、すぐに浮かびます。今回の千秋楽も、痛みをこらえて土俵に上がった稀勢の里の姿を見れば、ほぼ全員「稀勢の里がんばれ!奇跡を起こしてくれ!」となったことでしょう。照ノ富士は、相当にやりにくかったに違いありません。

 

ケガを押して、強行出場することが、必ずしも正解かどうかは、スポーツによっても違ってくるでしょうし、人それぞれの考え方も違います。ましてや、保育園の子どもたちに「それくらいのケガ・・・大丈夫だ!気合を入れれば痛いのなんか飛んでいく・・・」なんて指導はできません。(笑)

 

「今ここで無理をすれば選手生命を絶つことになる」の方が、きっと正しい選択のはずなのに、「明日から土俵に上がれなくなるかもしれないけど、俺は今日の土俵にかける」と言う男に、美学を感じてしまうのはなぜでしょう。

 

「ドラマティックな人生」への憧れかもしれませんね。

 

ともあれ・・・稀勢の里関・・・大きな感動をありがとう・・・です。