最後のバックドロップ

今日は、プロレスの話です。2009年6月13日、レスラー三沢光晴は、バックドロップを受けてリングに倒れました。そして、その夜10時10分亡くなります。今年は、三沢さんの十三回忌でした。私の好きなレスラーの一人でした。

 

今日のアングルは、三沢光晴ではなく、彼にバックドロップを放った、斎藤彰俊さんです。今も時々リングに上がる現役のレスラーです。

 

6月13日の夜、斎藤さんは、三沢さんが運ばれた病院に駆けつけます。それから、わずか1時間で三沢さんは亡くなりました。斎藤さんは、立ち尽くしたまま、死んでおわびをするか、引退してリングから去るか、レスラーを続けるか・・・この三択しかないと考えます。

 

斎藤さんは、病室を出て宿泊先のホテルに向かう途中に、大きな川にさしかかります。橋のたもとから河原に下りました。ここで自分の一生を決めなければ・・・と思うのです。

 

「憧れ、尊敬していた三沢さんに全身でぶつかった。自ら命を絶ったり、引退したりするのは逃げになる。自分が消えれば、ファンの怒りや悲しみの行き場がなくなる。リングに上がって、皆さんの見える所で、すべてを受け止めよう」と、「プロレスラーとして試合に出る」という決断をしたのです。

 

翌日の試合では、罵声は飛ばず「むしろ、温かい励ましの雰囲気だった。三沢さんのファンは三沢さんの人間性も支持していたと思うけど、その偉大さを改めて感じた」と斎藤さんは言います。しかし、リング外では「三沢を返せ!」と非難が相次ぎます。

 

三沢さんの死から数か月後に、斎藤さんは一通の手紙を受け取りました。三沢さんは、試合中の不慮の事故で自分が死ぬ状況を想定し、対戦相手への言葉を遺していたのです。

 

「本当に申し訳ない 自分を責めるな 俺が悪い これからも、己のプロレスを信じて貫いてくれ」という内容です。斎藤さんは、何百回と読み返し、その言葉を心に沁み込ませたのです。

 

斎藤さんのツイッターには「よくのほほんとリングで試合ができますね」というメッセージが今でも届きます。それには、「辛い思いをさせてすみません。考え抜いて出した結論ですので、戦い続けようと思っております」と返信しているそうです。

 

三沢選手は、ジャイアント馬場さんの弟子で、2代目タイガーマスクとしてデビューしますが、初代タイガーマスク佐山聡と比較されることへの葛藤が、やがて、三沢光晴のスタイルを確定させて、プロレスリングノアという新団体を立ち上げるのです。プロレスファンでなくても、三沢光晴の名前を知っている人が多いですが、今日は、その三沢光晴にバックドロップを放った、プロレスラー斎藤彰俊の重い十字架を知ってもらえればと思っています。