外国人からみる「いじめ」とは?

今日から3月に入りました。暖かい日差しの中での屋上遊び・・・今日は、寺子屋でない小さい園児が、えんどう豆の種まきを行いました。先生にフォローしてもらうのですが、手のひらからポロポロ種をこぼしてしまいます。でも真剣な顔つきです。5月の収穫では、また活躍してもらいます。

 

さて、日本でなくなることがない「いじめ」問題。外国人には、違う視点で映っているようです。

 

あるアメリカ人女性は「米国では、差別もいじめも身の回りにいくらでもあります」とあっけらかんと言い放ちます。

 

「日本は、被害者に寄り添う取り組みに力を入れているけど、それだけでなく、自立のための取り組みが必要だと思います。例えば、私が子どもの頃には、ママからいつも『胸を張って歩きなさい。肩を落としているといじめのターゲットになる。もし、いじめられたら、明るく、そんなことで私はつぶされないわという顔をしなさい』で育てられました」と話します。

 

「えっ~それって、『いじめられる方が悪い』ってことにならないの?」と問うと、「どちらが悪いかを論じる限り、出口はないと思います。言いたいのは、いかに自立するかということです」と話します。

 

日本の学校が「いじめをなくそう!」の標語を掲げることに、むさしさを感じるそうです。なぜなら、人間は、常に優越感と劣等感の間で揺らぐ動物だからです。彼女は「一番大事なことは、被害者意識・劣等感を持たせない闘いをすることだ」と言います。

 

私たち日本人の考えとは、また違う解釈かもしれません。でも、確かに劣等感を持つものは標的になり、逆に優越感を得ようといじめに転じることがありますね。また、少しのいじめでへこむと、いじめの加害側は「いじめがい」を感じてしまうものです。

 

日本人の若者の7割が「自分はダメだ」と自己肯定感は、世界の中では最低水準です。いじめの問題は、根深いものですが、子どもたちが「自立する」「自己肯定感を高める」というアプローチも必要かもしれません。