誰がために戦場から伝える

今日は、小学生と在園児が混ざり合う土曜日です。小学校4年と2年の男子が、1歳男の子を相手に、とても楽しそうです。小学生は二人とも一人っ子なので、年の離れた弟と遊んでいるようです。小学校2年生の女子は、年長、年中園児のアネゴ的な存在になります。小学校では、経験できない「もう一人の自分」を楽しんでいます。

 

さて、戦場ジャーナリストの存在をご存じですか。常に危険と隣り合わせの環境なのになぜ、戦場に向かうのか。よく報道番組で、戦場ジャーナリストのリポートが放映されることがあります。それを見て、みなさんはどう思いますか。

 

「なんで、そんな危険な場所に行く必要があるの?取材中に死んだとしても『自己責任』だから仕方ないね」なんて、思っていませんか。こんな考えを持つのは、残念ながら日本人に多く、欧米では、戦場ジャーナリストの評価は高いのです。

 

「ジャーナリズムの『目』は、戦争の抑止力になリ得る思います。僕は、考える材料を提供しているだけ。それだけです。それしかないです」と、佐藤和孝さんは言います。彼は、40年以上にわたり戦場を歩き、人々の声を伝えてきました。今でもウクライナで活動中です。彼が、伝えるだけでは戦争を止めることはできないでしょう。それでも、受けとった人が考え、戦争を止めるための行動に移してもらえば、彼の活動は意義あるものになるのです。

 

志葉玲さんも、世界各地で起こる戦争や紛争を告発してきました。彼は、戦場で3つのルールを自らに課しています。

第一に「民衆の側に立つ」戦争で苦しむのはもっとも弱い立場の民衆である

第二に「できるだけ危険な場所に行く」危険な場所に伝えなければいけない真実がある

第三に「必ず生きて帰る」ギリギリまで危険な場所に行くが必ず生きて帰ると決めている

もちろん、生きて帰るには「気合い」だけではいけません。そのために、「事前の打ち合わせを入念に行い、取材中は刻々と変わる最新の情報を得て、常に退路を確保している」と言います。

 

本当は、世界中で戦場ジャーナリストが不要な世の中になるのが理想です。しかし、私たちが生きている間は、そんな世界は無理でしょう。彼らの命をかけた取材をきちんと受け止めて、考えて、行動につなげる。あらためて思った次第です。