教育虐待

今年3月、元九州大生の長男が、実家で両親をナイフで殺害した事件の背景には、「教育虐待」があったそうです。長男は、小学校の時から学校の成績が悪いと父親から殴られ、「失敗作」と罵られたそうです。長男を鑑定した臨床心理学の専門家は、「事件は教育虐待がなければ起きなかった」と指摘します。

 

教育虐待は「親による子どもの心身が耐えられる限界を超えて教育を強制すること」と定義されますが、分かりやすく言えば、「大人が善かれと思って提案することに対し、子どもが嫌だと思えば『NO』と言え、それを大人が聞いて、『本人がそういうならと折れることができる』この関係性があるかないかで決まる」とも言えます。

 

教育虐待の根っこには、「大人たちの価値観」があります。「お金があり地位が高い、いわゆる『勝ち組』になる人生が幸せであるという価値観」・・・そうした価値観に縛られ、子どもを『負け組』にしないために、勝ち組を獲得できるところへ、親が子どもを持っていくべきだと信じてしまうのです。

 

もう一つは、親が学歴などにコンプレックスを持っている場合です。特に母親は、女性であるがゆえに結婚や出産・子育てでキャリアや自分の夢を諦めざるを得ず、そのために、子どもを自分の「代理」にして、戦わせているのです。自分の夢や理想を子どもに託し、「教育」という名の下、子どもを通して自己実現させようとしてしまいます。しかし、子どもにとっては、それが過度の期待と強制になり、じわじわと追いつめられるのです。

 

教育虐待をする親の共通点として、「経済的に安定した家庭で起きている」といわれます。そこでは、いい高校、いい大学、いい会社に就職させることを目標に定め、それを達成させるのが「いいお父さん」「いいお母さん」という自身への評価につながると錯覚し、親だけエキサイトしてしまうのです。子どもも、親が望むのであればと、自分の気持ちは置き去りにして猛烈に勉強します。しかし、そうした状況が続くと、誰にも相談できないまま、プツンと心の糸が切れてしまうのです。

 

親が変わるには・・・「子どもは別人格で親の所有物ではない」「成績や成果など、結果だけで子どもを評価しない」「子どもの評価=親の評価だと思わない」「自分の理想を子どもに押し付けない」「子どもが望むサポートと親ができるサポートは親子の対等な対話の中で決めていく」「自分たちの信じている価値観を疑い、考える」

 

上にあげた内容は、実は、親も理屈ではわかっているけど・・・ついつい我が子のために、あらんことをしてしまうのではないでしょうか。

 

保育園ホワイトきゃんばすと同じフロアにある「学習塾」には、こんな張り紙があります。「受験まであと3か月・・・この3か月間だけは、親は我が子に『勉強しなさい!」と言うのを我慢してください」

 

また、18世紀の哲学者、ルソーは著書「エミール あるいは教育について」で、こう述べています。「あれしなさい、これしなさい、あれするな、これするな。そんなことばかり言い続けていたら、その子はそのうち『息をしなさい』と言わないと、呼吸できなくなるぞ」

 

どうですか、まずは、「○○しなさい・するな」を言わない。そして「勉強しなさい」を言わないことから始めてみませんか。