「かるた」は遊んで学べる芸術品

保育園には、「こびとかるた」と「妖怪かるた」があって。子どもたちが自由に使っています。読み手も園児がやるので、読み手も含めて、楽しみながら、ひらがなを覚える、絶好のツールとなっています。

 

今日は、お昼の年長勉強タイムに、新たに「恐竜かるた」をデビューさせて、楽しみました。読み聞かせの絵本にも恐竜はたくさん登場するので、子どもたちは、恐竜の種類をよく知っています。白熱の戦いとなりました。見事優勝した年長女子に「どうしたら、かるたで勝てるようになれますか?」と質問すると、「少し離れたところから、全体をよく見ていれば、取れるようになる」とのことです。大人になると、ヤマを張らないと、すばやく手が動きませんが、子どもの反射神経は大したものです。

 

ある小学校の教員は、かるたが大好きで、気がついたら800種類も集めたそうです。集めたかるたは、小学校の授業などに取り入れ、百人一首以外にも昆虫や食育などの多様なテーマのかるたを教え子に触れさせています。「短くリズムの良い文章で、美しい日本語の響きや、さまざまな知識を楽しく吸収できる」と言います。例えば、歴史を学ぶときは、太平洋戦争中に作られたかるたを使い、戦時下の社会の様子を伝えます。「愛国いろはかるた」の「い」の読み札には、「イセノカミカゼ テキコク コウフク(伊勢の神風 敵国 降伏)」と戦意高揚の言葉が並びます。また、戦時下のかるたは紙質が悪く、厚みもないことも、子どもたちに気付いてほしいそうです。

 

日本のかるた文化は、平安時代からの上流階級の遊び「貝覆(かいおおい)」と、16世紀後半にポルトガルから伝来したトランプに近い「カルタ」が融合して生まれたと言われています。「貝覆」とは、二枚貝を別々に分けて、和歌の「上の句」と「下の句」や挿絵などを書き、ペアを探し出すという遊びです。平安時代末期から鎌倉時代頃に遊びとして始まり、後に「貝合わせ」と呼ばれるようになったそうです。

 

戦後は、復興を目指し、地元の文化などを学べる郷土カルタがブームとなりました。1947年に制作された「上毛かるた」はその代表例です。群馬県の人たちは、老若男女問わず、上毛かるたを暗記しています。

あ 浅間のいたづら・・・とくれば、下の句の「鬼の押し出し」がすぐに出てきます。

い 伊香保温泉・・・なら、下の句「日本の名湯」です。

こんな感じで、群馬県民は、郷土愛が強い県民となったのかもしれません。

 

保育園ホワイトきゃんばすでは、今後も「遊んで学べる芸術品」である「かるた」をしっかりと学びの手段として活用していきます。