叱れない社会

今日は思う存分屋上で雪遊びをしました。昨夜は東京23区内でも大雪警報が出るくらいに降ったのですが、朝から雨まじりで、屋上は「ぐちゃぐちゃ白銀」です。それでも、雪だるまを作り、雪合戦で熱くなり、ソリも楽しみました。小さい園児は、ただただ雪の上を歩くだけでもテンションアップです。昨シーズンは、積もるほどの雪がなかったので、久々の雪遊びは、子どもたちのいい思い出になったようです。 

 

さて、宮藤官九郎脚本のドラマ「不適切にもほどがある」では、主演の阿部サダヲ演じる中学の野球部顧問が、ノックでしごき、ミスがあれば「連帯責任!」といって「ケツバット」が連発されます。笑ってしまうシーンですが、昭和の野球部では結構あるあるです。監督は「叱って、しごくからこそ、お前たちは競争を勝ち抜ける」と本気で思っていました。

 

令和の今、夏の甲子園で優勝した慶應高校の森林監督は、かなり違います。練習メニューを説明後に、当時の主将が「この練習は必要ないと思います」と言い、監督と対等に会話を交わします。森林監督は、選手の意見を一通り聞くと「試合でこの状況になる確率が低いなら、この練習はやめて、他のことをして構わない」と言うのです。「私はたまたま、慶應の先輩ということで野球の指導をしているだけです。生徒たちも野球に一生懸命ですから、しっかり話を聞くことは大前提です。あそこで、私が話を聞かなかったら、もう主将は提案してくることはないでしょうね」と語ります。

 

ここまで読んで、「やっぱり、令和のやり方が正しいじゃん!」と思いましたか。しかし、昭和の場合も令和のやり方もうまくいく時もあれば、失敗する事もあります。

 

子育てについても、親の悩みは尽きませんね。3歳児男児を育てるママ。外で棒を振り回す息子に穏やかに言い聞かせます。「目に入ると危ないからやめようね」しかし、息子にはまったく気持ちが届かないようで、やめません。コップを倒してママの服がずぶぬれになった時は、本人は楽しそうに笑っています。「床もびしょびしょになって、ママ悲しいなぁ~」と言ってみても伝わりません。外食先で子どもが騒いだ時には「ここはアリさんの声ね」と言っても騒いだままです。

 

子育てマニュアル本には、「頭ごなしにダメと叱っても、怖いという感情だけが残って効果がない」と書いています。しかし、ネットには「叱らない系の人たちが、遊戯施設で子どもを放置」という書き込みもあり、周りの視線が気になります。「放置しているわけじゃなくて、危険がない限りは自由に遊ばせたい。他の保護者と価値観の違いはあると思う」と、そのママは考えるのです。

 

まだ就学前の子ども3人を持つパパは、「叱らない子育てという理想はわかるけど、家事も仕事も育児も忙しい毎日。3人いると叱らないわけにはいかない。でも、感情的になってしまい、なかなか上手に叱れない」と言います。子育てママパパなら、誰もが経験することですね。

 

よく、「命の危険につながるような危険な行為に対しては、しっかりと叱り、そうでないときはできる限り見守るのがいい」と言われますね。多くの子育てマニュアルにも書かれている内容です。でも、子どもといる時間で、命の危険にかかわらない「悪さ」は、山ほどあります。そんな時に、ママパパは困ってしまうのです。現代社会は、子育てはもちろんのこと、学校や会社においても「叱りづらい風潮」が蔓延しています。「虐待」「パワハラ」と簡単に言われる世の中です。

 

このブログでは、マニュアルのように「○○したらいい」とう結論は出せません。叱られる側の性格や叱る側との信頼関係・・・様々な要素を考えると、一人一人違うからです。ただし、これだけは言えます。「相手に本気や必死さをどう伝えるかを実践する」が大切です。鬼のような形相で、大きな声で叱ることが必要な時もあるでしょうし、説得する叱り方だって、すべて、相手に本気が伝われば正解です。

 

そして、叱った時に、「相手が自分で考えられるようになるかどうか」も大切なことですね。「叱られちゃった!次は、叱られないようにしよう」で終わったら、次も同じことをするでしょう。「どうして叱られたのか?では、次はこうしよう」と思ってもらえるような叱り方を実践したいものです。

 

「叱らない子育て」という言い方は、今風で、カッコイイ響きがあるかもしれませんが、

「どうやって叱るかが大事」だと思っています。子どもに限らず、社会人の若者含めて、一人一人違うから難しいのです。